地理学評論 Vol. 86, No. 1 2013 年 1 月 - 日本地理学会

●会長講演

日本における農村空間の商品化 田林 明・1-13

●論 説

岐阜県多治見市における夏季晴天日の暑熱環境の実態調査と領域気象モデルWRF を用いた予測実験――物理モデルと水平解像度に伴う予測結果の不確実性の検討―― 髙根雄也・日下博幸・髙木美彩・岡田 牧・阿部紫織・永井 徹・冨士友紀乃・飯塚 悟・14-37

●短 報

タイ北部の山村における豚の小規模飼育の継続要因 中井信介・38-50

上海市大中里里弄地区における市街地再開発と居住者の都市内移転 任 海・51-64

障害者自立支援法への抵抗戦略――東京都U区の精神障害者旧共同作業所を事例として―― 三浦尚子・65-77

●書 評

森林立地学会編: 森のバランス――植物と土壌の相互作用――(藤本 潔)・78-79

真木太一・新野 宏・野村卓史・林 陽生・山川修治編著:風の事典(柏木良明)・79-80

水谷武司: 自然災害の予測と対策――地形・地盤条件を基軸として――(吉田英嗣)・80-82

イサベラ・バード著,金坂清則訳:完訳 日本奥地紀行1(戸所 隆)・82-83

水野一晴: 神秘の大地,アルナチャル――アッサム・ヒマラヤの自然とチベット人の社会――(横山 智)・83-85

学界消息・86-87

2012 年日本地理学会秋季学術大会および秋季代議員会記録・88-90

会  告・表紙2,3 および 91-93

2013 年春季学術大会のお知らせ(第3報)・表紙2,3

 

 

会長講演

日本における農村空間の商品化

田林 明
筑波大学生命環境系

現代の農村空間は,生産空間としての性格が相対的に低下し,消費空間という性格が強くなっている.この状況を「農村空間の商品化」としてとらえることができる.現代日本における農村空間の商品化を整理すると,(1)農水産物の供給,(2)レクリエーション・観光,(3)都市住民の農村居住,(4)農村の景観・環境の維持と社会・文化の評価を通した生活の質の向上,に類型化することができる.これらの分布は大まかにいって,自然条件の差や大都市からの近接性などによって規定されている.ここでは農村空間の商品化を観光発展に結びつけようとしている栃木県那須地域の事例と,農村資源を保存・育成するエコミュージアム活動が展開する山形県朝日町の事例を取り上げ,商品化する日本の農村空間の具体的な姿と特徴を検討した.日本の農村で現在起きているさまざまな現象を,農村空間の商品化という視点からよく理解することができる.

キーワード:農村空間,商品化,レクリエーション・観光,地域資源,日本

(地理学評論 86-1 1-13 2013)

 

論説

岐阜県多治見市における夏季晴天日の暑熱環境の実態調査と領域気象モデルWRFを用いた予測実験
―物理モデルと水平解像度に伴う予測結果の不確実性の検討―

髙根雄也*・日下博幸**・髙木美彩*・岡田 牧*・阿部紫織*・永井 徹***・
冨士友紀乃***・飯塚 悟****
*筑波大学大学院生,**筑波大学生命環境系(計算科学研究センター),***多治見市役所環境課,
****名古屋大学環境学研究科

これまで調査されてこなかった岐阜県多治見市と愛知県春日井市の暑熱環境の実態を明らかにするため,2010年8月の晴天日に,両市の15地点に気温計を,2地点にアスマン通風乾湿計と黒球温度計をそれぞれ設置し,両市の気温と湿球黒球温度WBGTの実態を調査した.次に,領域気象モデルWRFを用いて気温とWBGTの予測実験を行い,これらの予測に対するWRFモデルの有用性を確認した.最後に,WRFモデルの物理モデルと水平解像度の選択に伴うWBGT予測結果の不確実性の大きさを相互比較するために,物理モデルと水平解像度の感度実験を行った.その結果,選択した物理モデルによって予測値が日中平均で最大8.4°C異なること,特に地表面モデルSLABは観測値の過大評価(6.8°C)をもたらすことが確認された.一方,水平解像度が3?km以下の場合,WBGTの予測値の解像度依存性は日中平均で最大0.5°Cと非常に小さいことが確認された.

キーワード:猛暑,湿球黒球温度(WBGT),予測実験,岐阜県多治見市

(地理学評論 86-1 14-37 2013)

 

短報

タイ北部の山村における豚の小規模飼育の継続要因

中井信介
大谷大学真宗総合研究所,日本学術振興会特別研究員PD

本稿では東南アジア大陸部の山村で広く行われている豚の小規模飼育について,タイ北部ナーン県におけるモンの山村の事例に基づいて,その実態を明らかにした.特に,1)豚の形質,2)豚への給餌,3)豚の利用形態,の3点を明らかにすることから,山村における現在の豚の小規模飼育の継続要因を考察した.その結果,タイ北部の山村において豚が継続して飼育される要因として,年に一度行われる祖先祭祀での供犠利用に基づく宗教的要請と,正月祝いなどの慶事の宴会利用に基づく他家との関係を確認するための社会的要請が定期的にあることが示された.さらに,小規模な飼育が成立している要因として,豚の餌についての技術的・労働力的要請が示された.すなわち,豚の餌はバナナの葉と茎など山村周辺の自然に由来するものであり,これらは潤沢に存在するが長期貯蔵が不可能であり,毎日自力で採取する必要があるために,各戸の飼育規模が規定されていることが明らかとなった.

キーワード:豚,小規模飼育,山村,モン,タイ北部

(地理学評論 86-1 38-50 2013)

 

上海市大中里里弄地区における市街地再開発と居住者の都市内移転

任 海
日本大学大学院理工学研究科

中国では,1990年の土地使用権の譲渡に関する条例の制定とともに,急激に都市化が進行した.本研究は,中国上海市静安区大中里地域の市街地再開発を事例として,上海市内部での都市化の進展をミクロレベルで考察することを目的とする.再開発地域の居住者には,立退きに際し,金銭形式と住宅形式の二つの形式に基づく五つの補償方法が提示された.この再開発事業では,居住者に関するデータが一部公開されていることから,本研究では1,679世帯の里弄住宅居住者データを用い,居住者による五つの補償方法の選択状況を分析するとともに,移転先との関係を解明することを試みた.その結果,都市環状高速道路で形成される上海市の圏域構造が補償住宅の供給戸数の分布,居住者による補償方法の選択と移転先の決定と密接に関係していることが明らかになった.さらに,中心市街地の再開発と郊外新区の開発の連携は,都市人口分散の手段であることが裏づけられた.

キーワード:上海市,里弄住宅,市街地再開発,圏域構造,都市内移転

(地理学評論 86-1 51-64 2013)

 

障害者自立支援法への抵抗戦略―東京都U区の精神障害者旧共同作業所を事例として―

三浦尚子
お茶の水女子大学大学院生

本稿は東京都U区を事例地域に,障害者自立支援法施行後,精神障害者を対象とする作業所の新サービスへの移行状況とその利用実態に関する質的調査を行った.その上で,国家レベルの福祉施策の転換が地域レベルの障害者福祉サービス供給に及ぼした影響を,作業所という「ケア空間」の場が果たす役割に関連付けて考察した.その結果,移行先が就労継続支援B型のサービスに集中し,その一因に実際には就労支援に消極的な旧共同作業所が含まれており,「なんちゃってB」を自称していることがあると明らかになった.これらの事業者は,就労が困難な利用者のニーズに対応する一方で,経営基盤が安定する就労継続支援B型を選択して作業所の存続を図っている.自称「なんちゃってB」の出現は,障害者の自己責任を志向し,就労自立に傾倒した新制度に抵抗するための事業者の戦略であり,その結果旧共同作業所は,従前と変わらず精神障害者の居場所として機能している.

キーワード:障害者自立支援法,精神障害者,共同作業所,就労継続支援,「ケア空間」

(地理学評論 86-1 68-77 2013)